トークイベント「著者自身による造本」、そして「生存のための造本」

9日には、平出隆さん、編集者の郡淳一郎さん、文筆家の扉野良人さんによるトークイベントがおこなわれます。平出隆さんが毎年トークをおこなってくださることは、多くのお客さまに喜んでいただくという目的をこえて、かまくらブックフェスタというイベント、そして主催する私たちを支えてくれる、大きな柱になっています。
昨年は、郡さんと「本の美しさとはなにか」と題した対談でした。郡さんが編み、『アイデア』誌で発表された「オルタナ出版史」3部作は、普通の「出版史」では無視されているアウトサイダーも含めて、数多くの出版物や出版人をていねいに紹介していますが、そのトップに取り上げられているのが「宮武外骨」であり、最後におかれているのが「平出隆」です。このことには、郡さんの深い意図がこめられています。
宮武外骨は、オルタナ出版史では、「自由民権運動の反骨精神と、著者・編集者・出版者が分離する以前の「操觚者」の気概を生涯貫いた」と説明されています。では、平出隆は?と第3部のページをめくってみれば、そこには平出さんのこんな文章が、大きな字で引用されています。

詩は、しかし、どんな意味でも時代のあたらしさの表現ではない。それは現実の反映であるよりも、そこへの反撥であり、拒否であり、貫通である。


昨年に引き続き郡さんと対話したい、とは、平出さんのご希望でした。そこに、郡さんに負けないくらい、詩書はじめさまざまな書物への深い知識と鋭い感受性をお持ちの扉野さんに加わっていただくことが決まり、その後、このテーマにかんする討議が重ねられています。
平出さんの手がけた造本がどのようなものなのか、書物の奥に分け入ってその秘密を見極めたい、他の似た例も見ながら考えていきたいというのが、最初の衝動でしたが、ブックフェスタ開催が近づいた今、出演の3人の間では「生存のための造本」というキーワードが共有されています。
生存のための造本とは、どういう意味なのか。そのヒントは、上の平出さんの文章にある「反撥」「拒否」「貫通」という言葉にありそうです。僧侶でもある扉野さんは、書物を通した宗教と民衆との関わりという視点も、提示してくださることと思います。

そして、今回、郡さん、扉野さんが、貴重な蔵書のなかから、このテーマにかかわる本を持参していただくことになっています。
郡さんは、寿岳文章の1936年刊、50部限定の私家本『書物』や、1952年刊の高橋正敏『紙と製本』(これは著者自身によるガリ版の書物だそうです)など、扉野さんは、ご自身のお寺、徳正寺の門外不出本、親鸞『三帖和讃』写本や、建築家・白井晟一装釘の神西清訳『チェーホフ戯曲集』などをお持ちいただく予定です。
平出さんも、第一詩集『旅籠屋』、そしてvia wwalnutsの『雷滴』特装本など持参くださいます。
書物は手に取って向き合うもの、という3人のお考えから、計15冊の書物を、会場の皆様ご自身の手と目で直接確かめていただく場にしたいと考えています。
今回のトークは、五官で書物を感受する、ほんとうに貴重な機会となることと思います。とは言っても、書物マニアのための趣味の時間には、決してならないでしょう。「生存のための造本」は、「書物」への問いであり、同時に「生存」、つまり、生きること、生きのびていくこと、への問いでもあるのだと思います。
ご来場をお待ちしております。

平出隆さんは、もちろん、「via wwalnuts社」としてもご参加くださいます。
扉野良人さんも「りいぶる・とふん」として会場で販売くださいます。10月15日に京都で催されるポエトリー・リーディングにあわせて新しく制作した詩の冊子『百年のわたくし』を、本番に先駆けて、ブックフェスタで販売してくださるほか、扉野さんが同人でもある『四月と十月』の最新号、バックナンバー、もちろん「りいぶる・とふん」のこれまでの刊行物も並べてくださいます。